双極性障害の女と結婚した旦那は見守りと無関心が紙一重
健常者の男性にとって双極性障害、躁鬱の女と結婚するにはやはり、覚悟とか特別な意味を持つんだろうか?
もっとも・・・こんな双極性障害の女と知りながら結婚してくれただけで感謝すべきか?
結婚生活においては、精神的な疾患や障害があろうがなかろうが夫婦関係に問題が生じたり互いにつらい気持ちになることはある。
でも、躁鬱病の嫁と暮らす旦那にはやはり、健常者同志の夫婦関係にはない独特の〝かけひき〟のような影が見え隠れする気がしている。
双極性障害の当事者である私は疾患である事実を受け入れようと日夜奮闘するが、健常者である旦那は、その事実に背をそむけようとする姿勢がなくはない。
そして、精神疾患に対する旦那のスタンスは、実は私の父に重なってみえる。
私の母は、精神疾患の診断名はついていないがおそらく精神的な病を抱えていると思う。
なぜなら、物心ついたときから、母の奇行を目の当たりにし、受け止め、人知れず後処理をしていたのは私だから・・・・・・。
当時、私の父は何もせず見守っていた、というと聞こえはいいが傍観していた。今の旦那のスタンスと重なって見えるのはこの部分だ。
傍観者、他人事、自分の病気ではない、理解するには限界がある。
などなど・・・旦那が口にはしない言い分があるように感じてはいるが、実際、見守るというスタンスと無関心というスタンスは紙一重だ。
当時、兄貴は別居。
母はてんかん持ちでもあり、発作が起きてしまう。 その発作が長く、そのたびに命を縮めることになるという話を、私が20歳を過ぎてから聞いたことがある。
しかし答えは「私はてんかんなんかじゃないの!医者からも薬は一応出しておくけど、飲まなくてもいいって言われているんだから」だった。
主治医に、当時の話をしたら「本人に治す気持ちがないんじゃ、周囲が何を言ってもどうしようもないですねぇ〜」とさらっと言われたのだが・・・・・・
余談だが、母はアルコールを飲むとてんかん発作が起きる。必ず、だ。
鍋を空焚きしていたこともあったし、トイレで頭をガンガンぶつけてしまっていたこともある。飲み会の帰りに血だらけになって帰ってきたこともある。そのたびに私は「私しか母を支えられないのだ」と胸を締め付けられてきた。
でも、仕方がないのだ。そう思うことにした。父に話しても、まったく理解も関心も持たなかった。
旦那が父と同じだとは言わない。
もちろん、旦那は旦那の方法で私の病につきあってくれているのだろう。…でなきゃ、日替わり定食のように変わっていく私と暮らすのは辛いもんな。
でも、目に見えない。感じられない。自分のしたいことしかしない、周囲からいくら圧力があろうと、そこに「自分がする必要性」を感じないと動かない。その必要性は、見守ると無関心を交互に見極める根拠でもある。
双極性障害でも、結婚というライフイベントをもたらしてくれた旦那は心温かい人だ。
温かい人だからこそ、動くかどうか?その見極めはナイフの様に私を切り裂く。こんなことを考える私は、旦那に依存しすぎているのだろうか?
両親からもらえなかった愛情を、求めてしまうのは間違っているのだろうか?
時に私の双極性障害を傍観者のスタンスで受け入れる旦那。
その一方で、旦那の精神疾患への理解の進捗を傍観者のように見つめている私が居る。